愛ある罵倒は君だけに


「深く考えないで捨てるように書く - ネットで罵倒をみかけたとき」を読んで。


私にもたった一人罵倒する相手がいる。憎んでいるわけではない。むしろ愛しい気持ちしか持っていない相手。その人にかける言葉は、何時もなら慈愛に満ちた言葉になるのだが、時として罵倒になってしまう事もある。その人も完璧な人間ではない。時には間違った事をしたり言ったりもする。それに気付いて欲しくて私は指摘するわけだが、最初は罵倒も効果があったものだった。しかし、最近ではスルー力を身に付けてしまったようなので、身に染みてはくれないようだ。私とは気付かれないように無関係な人間が罵倒しているように見せかけなければならないかとも思っている。人によっては罵倒が気付きと成長を促す事もあるのだ。勿論、罵倒で萎縮してしまって、成長が止まってしまう人間もいるだろうから、全てに対して罵倒が良いかと言えばそれは違うだろう。相手にとって一番良い対応をしていきたいものだ。


 時として、強く厳しい罵倒の言葉が、熱烈な愛の言葉のように熱く感じられることがある。


私の罵倒も、第三者にその様に見えていたら本望だ。だが、罵倒する相手にはそう見えてしまっては駄目なのかもしれない。だが、もしかしたら私の気持ちを痛いほど感じてくれれば、或いは見え透いた罵倒の言葉がその人を動かす事にもなるやもしれぬ。そうなる事を心から祈りたい。