目の前の霧が晴れたら


「明日は明日の風が吹く - 嘲笑いたければそうするがいい(from 歓楽叶わぬ納骨堂庭園)」を読んで。


ただ見ている相手よりは、何らかのコンタクトを取った相手とは繋がりができ、そしてそれが繰り返されるとより一層の強さでその繋がりを感じるとyas-toro氏は言っているのだな。それは確かにそうだろう。私もそう思うよ。そう思うのだが、今のままの私では強い繋がりは出来難いのだろうな。ただ、以前に比べては他人の書いた物に積極的に言及をしているという事が少々違うので、これも進歩と言えるだろう。とは言え、強い繋がりが心から欲しいと思っている訳ではない。興味のある相手は何人か存在はするが、矢張り手探り状態が続いている。


 仮面をつけていようがいまいが、その人が書いているという事が、ネットは全てだと思う。


そんな風に言われるとは思ってもみなかった。仮面を付けて何かを書くという事を責められる事はあっても。その人が書いているという事が全て、か。何か知らないが、温かいものを感じた。yas-toro氏のような存在は本当に貴重だと私は思う。だからこそ、氏の書かれるものには温かみが感じられるのだな。氏のようにはなれないとは思うが、それでも氏のような存在を好ましく思う自分も満更捨てたものではないかもしれない。


何時か、この手探り状態の私にも、目の前の霧が晴れる瞬間が来る事を心から願っている。