多くの人間に見向きもされぬ者が此処にいる

昔は、書き込みがないと嘆く人を見つけると、救いたいと奢った気持ちから声をかけたものだった。その頃もその己の行為を偽善だ、何様のつもりだと思ってはいたが、今でもそう思っている。今思うに、それは自身に向けられたものだったのだろう。つまり、私こそが誰にも声をかけられぬ可哀想な人間であり、誰か、私に声をかけてくれと悲痛な叫びを放っていたのではないか。だからこそ、自分と同じような匂いのする人に声をかけてきたのかもしれぬ。自身を救いたいが為に。だが、しかし、蓋を開けてみれば、自分を卑下する人の多くが、卑下するのもおかしいだろうと思われる人達ばかりだった。実に多くの読者を持ち、実に秀逸な文章を綴り、実に経験豊富な経歴を持つ、そんな人々だったからだ。嫉妬さえするのもおこがましい、そんな人々だ。何故、そういった人達が己を卑下するのだろう。言ってしまえば、その姿勢こそが多くに支持されるということなのだろう。嫌味の感じられない卑下を書くことのできるその文章の巧みさ、それがその人達が多くに受け入れられる要因なのだろうな。それは私には全く無い才能だ。その証拠に、これだけ長くウェブで書き続けていても、多くに読まれることがないのだから、仕方ないことと言えばそれまでのことだ。それだけ、私という存在は多くの人に見向きもされない矮小でくだらない人間なのだと。私はそう思っているよ。