たとえ死んでも読み続けたい


「うぃーちきまーちき - たとえばお前が死んでも」を読んで。


そうだね。ネットの関係って、儚いもんだよね。


今、私が突然死んだとしても、私が死んだ事は誰にも分からないだろう。死んだ事を教えるつもりは無い。私は信じているのだ。たとえ死んでしまったとしても、私は更新を続けているだろう、と。こんな話を聞いた事がある。自分が死んで、その瞬間の気持ちを教える為に幽霊になって教えにくるよといった話を。結果は如何だったかな。いや、この話は現実の話ではなく、作り話だったかな。だがしかし、私は魂だけになってでも、この電脳世界を彷徨って、好んで読んでいたブロガーの記事を死んでからも読み続けたいと本気で思っているのだ。確かにネットでの関係は儚いのだろう。私のように現実の私を誰にも教えていなければ。だが、それでも私は信じているよ。こんな私でもその人の背中を押す事が出来るのではないか、と。私という存在が居た事を生き続ける「あなた」が覚えてくれていたら、それは儚いとは言えないのではないか、と。そう強く願っている。



願い続ける。私は何時までも。届かなくても。それでも願い続ける。何時かモノクロームな私の影が色づき、その人の心に私という色彩が届く日を。

何かに夢中になれ


「断片部 - Hidden Signet - 私にないもの」を読んで。


クリエイティブとかセンスというものは努力だけで獲得出来るものではないのではないか。何時でもそれはふとした瞬間に訪れる物だと私は思っているよ。だから追いつくとか追い抜かれるとかいう言い方は違う気がする。私の場合は楽しくて楽しくて仕方ないと思った時に何かが生まれる事が多いようだ。だから夢中になって何かをやっていけばいいのではないかな。私はそう思うよ。