その声が届くのは何時でも他の者なのだ


「S嬢 はてな - 私信のようなもの」を読んで。


 親バカでもなんでもいいんだ、実際わたしメチャクチャ自分のガキ共、大好きだし。でも自分の言葉が少なくて、そのことで解釈いろいろ呼んじゃうなら、一応ぐだぐだと、そんなことも言っておこうかな、と思った。


私の親はsatomies氏のような親ではなかった。それをどうこう言うつもりはない。事実は事実として「私の親はsatomies氏のような親ではなかった」というだけだ。親は親なりに私を愛してくれたのだろうから、それが私にとっての好ましい親ではなかったとしても、ただ私にとっては「運が悪かった」というだけに過ぎない。
そして、私は己が書いたもので様々な解釈が生まれるのを良しとしている。たとえ私が思っていた事とは違う解釈をされてもくどくどとは説明しないようにしている。勿論、時折り説明する事もあるが。だが、私がそうだからといって説明をする方を否定するわけではないという事は一応言って置く。


今回、氏のこの記事を読んで思った事は、一言で言い表せる。「運が悪かったのだな」と。私は「運が良かった」のだ。今まで生きてきて、他人に気を遣わない飼い主というものを見た事が無かったからだ。ただそれだけの事なのだな。だが、たとえ愛犬家を傷付けようとも、心無い愛犬家に傷付けられてきた事を書き綴るのは悪いことではない。しかしながら、得てしてこういった声は心無い愛犬家には届かないものだと思うな。何時でも反省するのは、日頃から他人に気を遣う飼い主ばかりだ。そういうものなのだよ。ブックマークでも「気をつけよう」と書かれている方がいたが、恐らくその方も日頃から気をつけている方に違いない。だが、それでも声を上げ続けるのは無駄な事ではないのだろう。そんな風に思ったよ。