ありがとうを伝えたい


「青ひげノート - サイト間の感謝の気持ちを忘れずに」を読んで。


私が運営していたホームページはニュースサイトではなかったので、筆者のサイトと比べる事ではないのだが、確かに初期の頃は私もアクセス数を気にしていた。毎日何人の訪問者がいたかを確認し、キリの良い番号で申告してくれるよう日記で呼びかけもしたものだった。すると、キリ番を踏んでいない人達からも「○○達成おめでとう」と声がかかり、それがまたサイトを運営していく為の力になったようだ。


その様なアクセス数に対する祝辞というものは、筆者が言うようにブログ間ではあまり見られない。とは言え、全くないわけではない。ただ、ブログにはカウンターが付いていないブログも多く存在するので、アクセス数での祝辞より「○周年おめでとう」という言葉が飛び交っているようだ。それが多いかは分らないが、私が読んでいるブログではよく見かけたものだったな。


勝手な思い込みなのですが、これはニュースサイト同士がお互いに感謝し合っている証だと思うんです。

ニュースサイトって他のサイトの力を借りなければ運営する事が出来ないじゃないですか。

全て自力でネタを引っ張り揚げて来るサイトもあるかもしれませんが、大抵のサイトって部分的にだとしても孫的な要素があります。サイト同士の繋がりがサイト自体を象っているので、競合他社というよりかは運命共同体に近いものだと思うんですね。


ニュースサイトだけに限らず、例えば私のこのブログも他人のブログがなければ続かないブログである。私は他人が書いた物で色々と何かを考え、それを思う侭に書き綴っているので、私も他人のブログに何時も感謝をしている。私が書き続けられるのも皆さんのお陰なのだから。


ネタ元にしても、ネタ元にされても、どちらにしろ繋がりがサイトの構築、知名度上昇を促す為、ありがたやありがたや、なんですね。ネタ元表記っていうのはかなり重要な問題ですからね。


普段そういった気持ちを伝える事が出来ない為に、アクセス数の祝辞としているわけです。


私のブログの場合は、既に知名度の高い人物のブログを取り上げているので、私は誰にも貢献をしていない。だから、私は常に感謝する側である。だがそれでいいと思っている。私は感謝されるよりも感謝をしていたい人間なのだから。


筆者はこれを中元のようなものだと言っている。私は中元という風習が良いものだとは思ってはいない。だがそれは、昨今の中元には心がこもっていない物が多いと感じているからそう思うのであって、中元に込められた人々の感謝の念というものが感じられればいいのである。


書いてくれてありがとう。本当に感謝している、と。