座布団が欲しい

「「ですます」問題の個人的回答および個人的な抱えてる不安 - 名付けられぬ浅い領域のほとりにて」を読んで。 

 

なんだろ、学生時代、試験の解答用紙にほんとのところは不安ゆえに長々と記述してしまうことがありました。いまでも「通じないかもしれない」という不安を抱えるゆえに長くなっています。文章を書いたりすることに関して不安を抱える私はもしかしたら文章を書くことに不向きかもしれない、ともうっすら自覚しています。かといって、不安だからと言って、放置していいものとは思えないのであがいてはいるのですが。

 

子供の頃、証明問題が得意だった。証明問題が得意ということは、国語能力も高かったはず。だが、私の国語の成績はあまり芳しくなかった。作文では教師に「何が言いたいのかわからない」と言われたものだったな。だから、得意だからといって、私の文章が他人にとってわかりやすいとはならないだろう。それは此処で書いてきて何度も読者との意思疎通がうまくいかなかったことでもわかる。私は文章が下手くそなのだろう。恐らく、私には文章を書く能力はないのだ。過去にわかりやすいと言われたこともあるが、わかりやすいからといっても、読んだ人が私が言いたいことを理解してくれたとは限らないからだ。勿論、まったく私の意図とは違う捉え方をしてもいい、むしろその人のその考えや思いを知りたいとも思うので、「どうしてそうなるかな」ということにもならないのだがね。

 

それにしても、gustav5氏に「文章を短くしろ長く書くな」とアドバイスされた方は何方だろう。昔、そんなことを言っていた誰かがいたなと思ったので。短く書いても長く書いても巧みな文章使いの方は何時も座布団を何枚も貰っていたと思うよ。そんな文章書きになりたいと思ったものだったが、私には無理だな。(笑)

 

 

【追記】

 

gustav5氏がご自分の記事内で追記をして下さった。有難う。

 

証明問題は数学における証明だったのだが、あれが私は好きでね、自己顕示欲が強過ぎたからだと思うのだが、率先して黒板に赴き、チョークで書いたものだったな。その昂揚感だけはよく覚えている。国語の教師は、成程、あなたの仰る通りなのかもしれないなと思うよ。当時の私はまだ幼く、テーマに沿った作文を書くには書くが、それについての自分の気持ち等を書いていなかったようだ。とはいえ、実は今現在も当時の自分とそれほど変わっていないようにも思うので、だからこそ、私の今の文章もなかなか他人には理解しては貰えないのかもしれない。私も少しは成長していかなければならないな。

 

あと、そういえば、私も以前はjugemでブログを書いていたこともあった。あの頃もよく他人とトラブルを引き起こしていたな。うむ。矢張り成長していない。それはもう誰かさんに見放されてしまっても仕方ないことだったか。(苦笑)