私の書いた物はもう誰も読まない

「「私が書いたものを誰かが読んでくれる」ということ - いつか電池がきれるまで」を読んだ。



日常で、10人に自分の話を聞いてもらえる機会、なんてそうそうあるわけではない。 ネットでは、多くの人は、何のリアクションもなく、ただ、聞き流してくれる。僕は、そういう、ささやかであと腐れがない(ことが多い)「ふれあい」みたいなのが好きだ。 知っている人、関係が深い人であれば、「この人にこんな話をして、関係が壊れないだろうか」と気になるし、「話すべき場所やタイミング」みたいなものも考えなければならないし。退屈そうな顔をされるのも怖い。


その人との関係が深ければ深いほど、確かにとある話題で関係性が崩れてしまうことはある。私はそれを身を持って経験したからな。そうか。もしかしたら、私も「話すべき場所やタイミング」を考えて発言すれば良かったのだろうか。そうであれば、その人と辛い別れをしなくてもすんだのかもしれないな。とはいえ、それもただの憶測だ。本当にそうであったかどうかもわからぬ。もしかしたらもうずいぶん前から見放されていて、いつ私から離れようかと、その機会を窺っていたのかもしれない。と、それくらい疑心暗鬼に私は陥っている。私はもう二度と誰かと魂の触れ合いは望めないし、全てに絶望を感じているようだ。この気持ちは恐らく私の命が尽きるまで無くならないのだろう。

 

誰かが私の書いた物を読む。それを今の私は本当に望んでいるのだろうか。もしかしたら「この私」はそれをもう望んではいないのかもしれないな。そんな気がしてきたよ。