関わりたいから書いているのだ


「お花畑にザー汁ぶちまけて - G.A.W.」を読んで。


ひどい文章と氏は書いているようだが、価値観は様々だな。私にはどこら辺が酷い文章なのかわからなかった。私の書く文章の方が酷いと思うのだが、如何なものだろう。

さて、そんな中で気になった箇所が一つある。


「ほら、苦労しなければ喜びはないとか、そういう言説ってあるじゃないですか。ああいうのって正論だと思うので、とことんまでリスク回避すると、人間そのものを避けて生きるしかないじゃないですか。それやるとやっぱり人間さびしいよねーとも思うんですけど、いいや俺にはえろげあるし。フィクションあるし。物語美しいし。うんうん、世界が、人間が美しいのは知ってる。でも俺はそれ物語とかしか通じて見る気ないから。めんどくさいし。傍観者でいいから。関与してこなくていいですよーこっちには別にいいものないですよーあなたたちはあなたたちで生を謳歌してくださいよ。

 それがいいか悪いかっていったら、まああんまりよくないと思うわけですけど、もういまさら変える気もないです。ほんと人間関係とかめんどくさいと思うし、人間の感情は怖いし、入ってこられたくないし、そういうもんはリアルで見てるから。俺が「めんどくさい」と思うもののなかにもなにがしかの真実はあるのだろうけれど、俺はメリットデメリットひっくるめて全部回避したし、フィクションのなかでまでそんなもん見たくない。」


苦労とか苦痛とか最悪な状況を経験することで喜びや幸せをより一層実感出来るということはよく言われている。確かに正論ではあるんだが、なかなかそれを実行している者はいない。だが、喜んで苦労に飛び込んで行く者も一人くらいは知ってはいる。しかし、普通の人はそんなことはしないだろう。だから正論ではあったとしても、あまり説得力のない正論でもある。少なくとも私は「喜びを得たいのなら苦労しろ」と言われても「お前にそんなことを言われる筋合いはない」と返すことだろう。実際、知り合いに言われて反発した過去もあるしな。


だがしかし、氏は他人と関わりたくないと言っているようだが、他人を信じたいと思っているように私には思えたよ。フィクションだけでいい、他人と関わることは面倒くさいと本当に思っているのなら、こんなところで本音は書かないように思うからだ。ブログで自分はこう思っているのだとは書かない。私はそう思っているよ。