他人の書く姿勢は気にしたことがない


「『斬(ざん)』 記事を書く時あなたはどっち?」を読んで。


souryuusei0401氏の言うように「ネタ記事が、頭の中で出来上がってて、記事が既に完結してる」か「ネタ記事の元(テーマ)があって、未完な状態で書いていく」かのどちらかと言われれば、私はほとんどが前者である事が多いな。だが、私の書く全ての記事には「テーマ」があるのだ。あるキーワードを元に話を膨れ上がらせて書いたり、如何してもこれだけは伝えたい、誰かに聞いて欲しいという事を書く場合もある。という事は、氏に「記事を書く時あなたはどっち?」と言われても、「どっちもだ」と私は言うしかないとなるか。
私がブログを書く動機は「MetLog:人がブログを書く4Aの法則(改訂版)」という記事にも書かれているように「アンチテーゼ(反論:反応、連想含む)」が一番の動機かもしれないな。誰かの書いた記事で自分語りをさせて貰っているという点で。


私が記事を書くのは好きだから書くには間違いはない。だが、そんな私でも書きにくい話題はある。誰かの書いた記事で興味のある話であっても書きにくい事もある。それは何故かと考えてみたが、よく分からない。同じような話題を二人の人物が書いていても、反応のし易い記事とそうでない記事があるのだが、反論したいから書き易いというものでもないようだ。賛同して書く時にも書き易いものと書き難いものがあるからな。


それにしても、私はsouryuusei0401氏のように「記事を書く時、他の人はどんなプロセスで書いていくのだろうか?」と気にしたことがないので、実に興味深いなあと思ったよ。そういう事が気になるというのは記事に対する姿勢が真摯だと思うからだ。私は取り上げさせて貰っている記事にも自分の記事にも、真摯な態度で臨んでいるとは思えないからな。尤も、それが私だという傲慢な気持ちは抱いている事は自覚してはいるが。


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