きっと誰か一人は読んでくれていると信じて


「Fragments 書くこと」を読んで。


もっと切実な衝動で書いているときは、とにかくそのときのfeelingを文字にしたい、で、そうする過程で心や頭の中がちょっとでも整理されるとスッキリする、それだけ。


切実な衝動で書いているのだと、もしかしたら誰もそうは思ってくれていないかもしれないが、実は私もそうなのだ。それは、当たり前の感想しか書けないとしても、それでも何とか毎日更新を私が目指していると言えば少しは分かってもらえるだろうか。
巡回しているはてなブックマークで、その記事を読んで書いてみたいと思える記事を探す私。時にはそそられる記事がない場合もある。かと思えば、複数あって、時間がないばかりに全部を書ききれない場合もあったりする。


何故そうまでして書くのだろうか。


なんでそれをウェブ上でやるのかということなんだけど、それは「そこにウェブがあるから」ですよ。


私もそうなのかもしれない。ネットで書く以前は私も日記帳に書いていたのだ。marineko氏のように自分と対話をしていたのだ。そこには私の思い込みなども書かれてあるわけだ。誰も私の可笑しな所を指摘する者はいない。だが、氏が言われるように、不特定多数が見る事の出来るウェブ上で公開する事で思ってもみなかった反応が届き、それで考え直してみる事も出来る。成る程、相手の考えは尤もだ。知らなかったよ、その様な考え方もあるとは。そんな風に一人ではとても考え付かない事を教えて貰えるのが、自分の書いたものを公開するメリットだなと私は思っている。


今の私は、誰かにとっての駄文であろうが、たとえ自身にとっての駄文だとしても、それでも「これを書きたい」と思ったら迷わず書く。恐らく誰か一人は私の書くものを読んでくれると信じて。