後味の良い喧嘩を見てみたいものだ


「【SOMETHING BLUE】 - 街角での「喧嘩」を遠巻きに見る感覚」を読んで。


ブロガー同士の揉め事は様々な場所でよく見られる。それはブログ以前のサイト時代でもよく見られたものだった。
私は弁護するだけの頭を持っていなかったので参戦する事はなく、何時も遠巻きに見ているだけだったのだが、中には頭の切れる人が参戦しては片方に肩を持つという事もあったものだ。そういう論破するような人に憧れ、己の無能さを嘆いたものだったが、私自身が揉め事の中心に立った時に援護される事がどれ程迷惑極まりないかを実感していったものだった。たとえそれが私に勝利をもたらしたとしても、私は揉め事は誰も介入しない方がいいのだと思うようになっていった。
なので、筆者のコメント欄での「お互い気が済むまで喧嘩したほうが後味がいい。周りが騒ぐと、いいことない」は至極尤もな事だなと私も思っている。
ただ、気が済むまで喧嘩をしたとしても全ての喧嘩が後味がいいかどうかは分らないがね。喧嘩を後味よく出来る者同士なら良いのだが、その様な気持ちのいい喧嘩を出来るのにも才能が必要なのではないか。最近は滅多に後味のよい喧嘩など見る事もないな。
勿論、私には後味の良い喧嘩など出来るはずもない。そんな才能は無いのだから。