認められて自信がつくのは相手次第

Twitterで多くの絵師の方をフォローしているのだが、そのうちの御一人が他人に認められることで価値が生まれるような気がするというようなことを呟いていらした。昔、知り合った絵描きの方で、自分は駄目だ、自分の絵には価値なんてないというふうに嘆いていたことがあり、その方の描く絵が好きだった私は、そんなことはない、あなたの絵は素敵だよと言ったことがある。もし、その方が今回の絵師の方が呟いていたように他人に価値があるよと言われ、自信を持つことができる人だったなら、私達は今でも付き合いがあったのだろうかと、時を超えてそう思ってしまったのだが。だがしかし、恐らくそういうことじゃないのだろうな。私の気持ちはどうあれ、向こうは私とは考え方が違う、相容れないと思っていたらしいので、そんな私の褒め言葉は逆に苦痛に感じたのだろう。他人に認められたならという説は、間違いなく相手次第なのだ。どんなに私が誰かを認めたとしても、その誰かは救われない。今までに「救われた」と言われたこともあったような気がするが、その救われた人々はことごとく私を拒絶して離れていってしまったものだ。ならば、私はもう誰かを認めることはしない。もう二度と。それほど私は誰かにとって最悪な存在なんだなと、今はそう思っているよ。