自分を救うものは自分だ

私は心が冷たい、と、自分でもそう思う。他人に対して思いやりなど持ち合わせていないし、心惹かれる相手ならまだしも、「馬鹿な奴だ」と思っている相手がどうなろうとも何とも思わない。たとえば、車や自転車等を運転しながらスマホなどをかまっているところを目撃したとしても、その者に対して「それはやめたほうがいい」とは言わない。恐らく言ったところでその者は聞く耳は持たないだろうから、言ったせいでこちらに害があることが多いだろう。ルール違反をしている人間に対して注意するなんてことはしない。そのせいでその者が事故を起こして誰かを死なせてしまったとしても、自業自得だと心で軽蔑するだろうな。

 

昔は、近所に一人二人はお節介なおじさんやおばさんがいて、悪い事をしている子供達を親のかわりに叱ったものだったが、今はそれをする人もいない。いたとしても、逆にその親に責められたり、叱った子供、あるいは大人に返り討ちをされて悪くすると殺されてしまうこともあるからだ。本当は、それでも叱る誰かがいなければならないんだろうが、私はそんなことしなくてもいいのにと心から思っていたりする。確かに、そのルール違反で傷つかなくてもいい誰かが傷ついたりするかもしれないが、それはもう傷つけられた人は運が悪かったとしか言いようがない。癌に罹ってしまったと同じことなんだと私は思っている。

 

お節介な誰かがルール違反をしている誰かを叱ったとしても、叱られたことで「あの時に叱ってくれた人がいたから今の自分がいる」となって常識人に変わるという者はほんの一握りしかいないだろう。非常識な人間はそのまま誰も構わずに、そのまま自滅させればいい。本当に生き残るに足る人間は、他人に言われなくても自分でちゃんと気づくものだ。自分を救うのは他人じゃない。自分自身が自分を救うんだよ。自分で自分を救えない奴は生きていく価値はない。私はそう思うよ。